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『地名と風土』第12号を発行しました。

6月 2nd, 2018 by oda

Exif_JPEG_PICTURE地名と風土 12号目次横書

2017年度の『地名と風土』が5月にやっと発行できました。

本号は内容も豊富で量も増頁となりましたが、定価は従来

のままに抑えていますのでお買い得です。

出雲大会でも好評で、すでに在庫が少なくなっています。

アマゾンでも購入できます。

全国の書店での注文販売もしています。

ジュンク堂を中心に書棚にも置いてもらっていますので、

ぜひ手にとり購入、宣伝をお願いします。

 

 

 

 

 

シリーズⅠ 柳田国男を尋ねる⑰  「豆手帖から」の旅で見た死者供養の絵額の世界

5月 4th, 2018 by oda

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遠野でなかなか見ることができなかった喜清院の「供養絵額」を今回こそ見ることができると思っていた

のですが、本堂改装中ということであきらめていたところ、善明寺にも20枚ほど飾られているとのことで

実現しました。

それも、「供養絵額」研究の第一人者、遠野文化研究センターの前川さおりさんの説明つきで・・・

若くして亡くなった者たちの家族や友人たちが、供養のために描いて寺に奉納した絵で、生前好きだった

食べ物や動物、趣味や仕事が鮮やかな色彩で描かれています。
なかには、子供に恵まれなかった女性が、死後の世界では子供に囲まれて暮らしている絵や、先に亡く

なった家族たちと一家団欒、食卓を囲んでいる絵などがあり、残された人たちの思いが伝わってきます。

柳田は、大正9年の「豆手帖から」の旅で、鵜住居の浄楽寺に立ち寄り、この寺にも飾られていたであ

ろう絵額を見て、次のように述べています。

「鵜住居の浄楽寺は陰鬱なる口碑に富んだ寺ださうなが、自分は偶然其本堂の前に立つて、しほらしい

此土地の風習を見た。(略)他の大部分は江戸絵風の彩色画であつた。不思議なことには近頃のもの迄、男

は髭があり女房や娘は夜着のやうな衣物を着て居る。独で茶を飲んで居る処もあり、三人五人と一家団欒

の態を描いた画も多い。後者は海嘯で死んだ人たちだと謂つたが、さうで無くとも一度に溜めて置いて額

にする例もあるといふ。立派にさへ描いてやれば、よく似て居ると謂つて悦ぶものださうである。斯うし

て寺に持つて来て、不幸なる人々は其記憶を、新たにもすれば又美しくもした。誠に人間らしい悲しみや

うである。」

この時、まだ「供養絵額」との言葉が無く、柳田も肖像画と同じ「額」としか認識していませんでした。

これに「供養絵額」と名づけて、遠野周辺の寺々に飾られていた絵額を集めて展示したのが、前川さんたち

の仕事でした。2001年8月、遠野市立博物館の第43回特別展がそれです。

「供養絵額」という言葉も、前川さんの造語ということも初めてしりました。

『遠野物語』の「魂の行方」の話を語る時には、必ずといってよいくらいに、いつもこの図録から供養

絵額を紹介させてもらってきたので、今後さらに評価が広まることを期待しています。

興味ある方は、博物館に問い合わせ、図録を購入してみてください。

まだ残部あるようです。

追記

柳田国男が見たであろう「浄楽寺」(常楽寺)の供養絵額は、3.11の津波で流され今は見ることが

できないと思い込んでいましたが、写真で残っていました。

2011年11月の成城大学民俗学研究所特別展「絵馬に込められた祈りの心」の解説・目録集で見る

ことができます。

岩手県立博物館の川向富貴子学芸員によって撮影された4枚の写真がそれです。

県立博物館に行けば見せてもらえるのでしょう。(2018.8.4追記)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シリーズⅠ 柳田国男を尋ねる⑯ 柳田国男「豆手帖から」の世田米の町を訪れました。

4月 26th, 2018 by oda

201804170280000.jpg2018041711280000 来年の地名研究者遠野大会の打ち合わせの帰路、遠野から盛街道を通って世田米の町を訪れました。

柳田は、この世田米の町を大正9年8月15日(碑には残念ながらこの日付は書かれていませんでした)、遠野から佐々木喜善、松本信広らと訪れ、山内旅館に泊まりました。

その時の柳田の文章が碑に刻まれ、折しも満開の桜の木の下、こうやって柳田の足跡を目に見える形で残していることの意味を改めて考えさせられました。

「其につけても世田米は感じの好い町であつた。山の裾の川の高岸に臨んだ、到底大きくなる見込の無い古駅ではあるが、色にも形にも旅人を動かすだけの統一があるのは、幸ひに新時代の災害に罹らなかつた御陰である。」

この後、柳田はここの民家の造りから、甲州街道や佐渡の両津の町並みを想起し、これらの

「感じの好い町」がどんどん「展覧会」のようになっていくと次のように嘆きます。

「東京は既にひどい土埃になつた。在所では何事も物遠い。吾々が静かに文明を味はひ

得るのは、地方の都会が唯一つの頼みであつた。其が殆ど何人の責任でも無く、水は汚れ

市場は掃く人も無く、家々は真似と虚偽との展覧会のやうになつて行く。町を作る人はもう

永久に出て来ぬのであらうか。悲しいことである。」

「真似と虚偽との展覧会」とはすごい文明批評です。

この文章は、『東京朝日新聞』に連載され、多くの人に読まれたはずですが、そのリアクション

は残念ながら届いてきません。

前々回に来た2012年の夏の遠野での国際シンポジウムのあとの時は、モースさんやメレックさん

たちと訪れた時で、「感じの好い町」の説明に終始していた覚えがあります。

そのあとに、こんなことまで言っていたとは、その時の私は思い出しもしませんでした。

反省です。

そして、とどめはこの後訪れた4回目の訪問となる陸前高田の風景でした。

かさ上げ工事のダンプカーや黙々と働いている方達に頭を下げながらも、松原に変わる防潮堤だけ

が異様な姿で完成している風景と世田米の碑文とを思わず比べてしまいました。

「奇跡の一本松」だけでなく柳田も嘆いているかの風景です。

柳田の言葉を借りると「画一と冒涜との展覧会」とでも言えるのでしょうか。

己の無力も含めて言葉にならない時間だけが過ぎていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

『口語訳 遠野物語』売れています。

4月 22nd, 2018 by oda

Exif_JPEG_PICTURE私が注を書かせていただいた『口語訳 遠野物語』(初版 1992年7月、再刊 2013年2月、文庫化2014年7月、河出書房新社)がこのところまた動き出しています。

二年振りに訪れた遠野のお土産屋さんで、うれしい宣伝文を見ました。

そろそろ文庫版6刷が近いかな。

期待しています。

 

 

利賀村商工会の取り組みが、「第15回 オーライ!ニッポン大賞」の表彰を受けました。

3月 28th, 2018 by oda
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養老孟司代表から賞状を受ける斎藤嘉久さん。

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グランプリ、大賞、ライフスタイル賞、審査委員会会長賞の方々の記念写真

3月26日、イイノホールで開かれた授賞式に行って来ました。

賞をいただいたグループ、個人の方々の発表を聞いて、刺激を受けてきました。

第1回で、武蔵野市のセカンドスクールの取り組みが賞をもらっていたこともあり、この「地域間交流」の頁にふさわしいご報告です。

この場で報告ざせていただいた利賀村での連続講演 福田亮成、高橋寛治、野本寛一各先生からの大きな助言が花開いた感じです。

一次会の交流会のあと、新橋に出て利賀村商工会の斎藤さんを囲んで乾杯。

南砺市での全国地名研究者大会実現に向けて、弾みがつきそうです。