小田の輪の和

小田の輪ブログ

届いた! さすが「宅急便」 ヤマト運輸さん
交通網整備の現場のみなさん ありがとう 

沿岸支援基地となっている遠野のボランティア支援組織「遠野遠風会 被災者支援チーム」からの呼びかけに応えて、23日の夕方、第一便としてインスタント味噌汁330杯と離乳食10食分を送ったのですが、顔なじみのヤマト運輸の方にお願いし、「一週間はみておいて」と言われ、そんなものなんだとあきらめていました。
が、なんと25日の今日、遠野の集配センターに届いたのです。
「魔女」ならぬ「魔法の宅急便」となりました。
これも日本の底力でしょう。
代表の多田さんから電話、担当の佐々木さんからメールをいただき、早速、大槌に届けてくださるとのこと。
「ありがとうございました」と言われましたが、逆にこちらから感謝しなくてはいけません。
ヤマト運輸さんだけでなく、途中の交通網を整備してくださった現場で働く多くのみなさんに。
必要な物が、必要な所に届くルートが身近にできました。
「遠野遠風会 enpuukai@gmail.com」を利用してください。
さらに、昨日、武蔵野市から応援の職員が遠野に六人入ったと、遠野の石田さんと武蔵野の青木さんから連絡もらいました。
南砺市の田中市長のブログからは、元気な田中さんの声が聞こえます。
南相馬市からの避難の方々を受け入れるとか・・・
それも、江戸時代の飢饉後の移住政策とのつながりを意識されているところが、さすがです。
この国の土地と土地、人と人とは、見えない「記憶の糸」でつながっているのですね。

私の関心から言えば、明治期の柳田国男も人口のバランスを考えて、移住政策を推進しようとしていたのだと思います。
その時、都会への一極集中は、柳田の頭のなかにはありませんでした。
と、こんな時に言うことではありませんが、これも私のホームページの位置づけとお許しください。
柳田民俗学のテーマは、「経世済民」「実学」ですが、その具体化は、「人口と移住」の一言に尽きると私は考えています。
そんな私ですから、今日のこの状況を柳田はどう見るのか、考えてみたいと思っているのです。
お許しください。

でも、柳田は、現代のインターネットと原子力発電の存在を知りませんから、あとは、こちらで想像力を働かせて考えなくてはなりません。
そこで一言、毎日のニュースを見て感じることですが・・・
あのイラク戦争の時、なぜこんなに多くの「軍事評論家」がこの国にいるのか と驚きましたが、今、同じように なぜこんなに多くの「原発評論家」がいるのかと感じます。
それも、みんな推進派?です。昔は必ず「原発反対」派と言われる人がマスコミにも登場したのですが、今は「見直し」の声もごく限られての扱いです。

(こういう時=柳田は外国からの声に頼ろうとしますが、そのスタイルを作ったのが南方熊楠です。

今、外からの声が情報としてもっと欲しいと思います。

日本を逃げ出す「外」の声ではなく・・・)
「ほら、やっぱり昔言っていた通りになったじゃないか」と心のなかでつぶやいてみたところで、何も変わりません。
次の世代のために、大きな変換が求められているのですから。
私たちは今、自分ができる小さなことで勝負しながら、心の中では、大きな変革への道筋を思い描くことが求められているのではないでしょうか。

と、大きな口をたたいてしまいました。

これも、荷物が5日も早く届いた興奮を知ってもらいたいの一心なのです。

でも、本当は、「自分ができる小さなことで勝負」していない「政治屋」さんへの嫌味だとわかりましたか。