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シリーズⅠ 柳田国男を尋ねる⑰  「豆手帖から」の旅で見た死者供養の絵額の世界

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遠野でなかなか見ることができなかった喜清院の「供養絵額」を今回こそ見ることができると思っていた

のですが、本堂改装中ということであきらめていたところ、善明寺にも20枚ほど飾られているとのことで

実現しました。

それも、「供養絵額」研究の第一人者、遠野文化研究センターの前川さおりさんの説明つきで・・・

若くして亡くなった者たちの家族や友人たちが、供養のために描いて寺に奉納した絵で、生前好きだった

食べ物や動物、趣味や仕事が鮮やかな色彩で描かれています。
なかには、子供に恵まれなかった女性が、死後の世界では子供に囲まれて暮らしている絵や、先に亡く

なった家族たちと一家団欒、食卓を囲んでいる絵などがあり、残された人たちの思いが伝わってきます。

柳田は、大正9年の「豆手帖から」の旅で、鵜住居の浄楽寺に立ち寄り、この寺にも飾られていたであ

ろう絵額を見て、次のように述べています。

「鵜住居の浄楽寺は陰鬱なる口碑に富んだ寺ださうなが、自分は偶然其本堂の前に立つて、しほらしい

此土地の風習を見た。(略)他の大部分は江戸絵風の彩色画であつた。不思議なことには近頃のもの迄、男

は髭があり女房や娘は夜着のやうな衣物を着て居る。独で茶を飲んで居る処もあり、三人五人と一家団欒

の態を描いた画も多い。後者は海嘯で死んだ人たちだと謂つたが、さうで無くとも一度に溜めて置いて額

にする例もあるといふ。立派にさへ描いてやれば、よく似て居ると謂つて悦ぶものださうである。斯うし

て寺に持つて来て、不幸なる人々は其記憶を、新たにもすれば又美しくもした。誠に人間らしい悲しみや

うである。」

この時、まだ「供養絵額」との言葉が無く、柳田も肖像画と同じ「額」としか認識していませんでした。

これに「供養絵額」と名づけて、遠野周辺の寺々に飾られていた絵額を集めて展示したのが、前川さんたち

の仕事でした。2001年8月、遠野市立博物館の第43回特別展がそれです。

「供養絵額」という言葉も、前川さんの造語ということも初めてしりました。

『遠野物語』の「魂の行方」の話を語る時には、必ずといってよいくらいに、いつもこの図録から供養

絵額を紹介させてもらってきたので、今後さらに評価が広まることを期待しています。

興味ある方は、博物館に問い合わせ、図録を購入してみてください。

まだ残部あるようです。

追記

柳田国男が見たであろう「浄楽寺」(常楽寺)の供養絵額は、3.11の津波で流され今は見ることが

できないと思い込んでいましたが、写真で残っていました。

2011年11月の成城大学民俗学研究所特別展「絵馬に込められた祈りの心」の解説・目録集で見る

ことができます。

岩手県立博物館の川向富貴子学芸員によって撮影された4枚の写真がそれです。

県立博物館に行けば見せてもらえるのでしょう。(2018.8.4追記)