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シリーズⅠ 柳田国男を尋ねる⑯ 柳田国男「豆手帖から」の世田米の町を訪れました。

201804170280000.jpg2018041711280000 来年の地名研究者遠野大会の打ち合わせの帰路、遠野から盛街道を通って世田米の町を訪れました。

柳田は、この世田米の町を大正9年8月15日(碑には残念ながらこの日付は書かれていませんでした)、遠野から佐々木喜善、松本信広らと訪れ、山内旅館に泊まりました。

その時の柳田の文章が碑に刻まれ、折しも満開の桜の木の下、こうやって柳田の足跡を目に見える形で残していることの意味を改めて考えさせられました。

「其につけても世田米は感じの好い町であつた。山の裾の川の高岸に臨んだ、到底大きくなる見込の無い古駅ではあるが、色にも形にも旅人を動かすだけの統一があるのは、幸ひに新時代の災害に罹らなかつた御陰である。」

この後、柳田はここの民家の造りから、甲州街道や佐渡の両津の町並みを想起し、これらの

「感じの好い町」がどんどん「展覧会」のようになっていくと次のように嘆きます。

「東京は既にひどい土埃になつた。在所では何事も物遠い。吾々が静かに文明を味はひ

得るのは、地方の都会が唯一つの頼みであつた。其が殆ど何人の責任でも無く、水は汚れ

市場は掃く人も無く、家々は真似と虚偽との展覧会のやうになつて行く。町を作る人はもう

永久に出て来ぬのであらうか。悲しいことである。」

「真似と虚偽との展覧会」とはすごい文明批評です。

この文章は、『東京朝日新聞』に連載され、多くの人に読まれたはずですが、そのリアクション

は残念ながら届いてきません。

前々回に来た2012年の夏の遠野での国際シンポジウムのあとの時は、モースさんやメレックさん

たちと訪れた時で、「感じの好い町」の説明に終始していた覚えがあります。

そのあとに、こんなことまで言っていたとは、その時の私は思い出しもしませんでした。

反省です。

そして、とどめはこの後訪れた4回目の訪問となる陸前高田の風景でした。

かさ上げ工事のダンプカーや黙々と働いている方達に頭を下げながらも、松原に変わる防潮堤だけ

が異様な姿で完成している風景と世田米の碑文とを思わず比べてしまいました。

「奇跡の一本松」だけでなく柳田も嘆いているかの風景です。

柳田の言葉を借りると「画一と冒涜との展覧会」とでも言えるのでしょうか。

己の無力も含めて言葉にならない時間だけが過ぎていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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