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シリーズⅠ/柳田国男を尋ねる⑫ 柳田書簡を追って小倉に行ってきました

『柳田国男全集』は、あと六巻というところで、足踏み状態ですが、ここにきて最後の追い込みをかけなくてはならなくなり、10月は小倉、11月は遠野と取材に行ってきました。

小倉には、遠野で知り合った劇団主宰者のりゅう雅登さんがいて、数年前からお誘いを受けていたこともあり、思い切って行くことになったのです。

りゅうさんと、小倉郷土会会長の馬渡さんの案内で、柳田書簡を保管している小倉近代文学館や初代小倉郷土会会長の曽田共助さんのお宅に伺いました。

柳田と小倉との関係は、民間伝承の会発足後、短期間に関係が密になり、昭和11年、14年、16年と5年の間に3回も訪れるほどでした。

柳田の期待の表れと捉えてよいでしょう。

また、1回目は息子の為正、2回目は奥さんの孝、そして、3回目は若い今野円輔を伴う講演旅行で、居心地もよかったのでしょう。

今回取材した書簡の宛先の人物は、昭和10年代に若い松永美吉、木島甚久に宛てたものでした。

二人とも、柳田が亡くなったあとも、柳田の遺志を継ぎ、松永は地名研究、木島は柳田の心残りの研究であった家船の研究に打ち込んだことを考えると、この時期の文面も躍動感あるものに感じられます。

また、今回の取材では、柳田が歩き、立ち寄った場所も馬渡さんの案内で回ることができました。

松本清張記念館では、昭和16年の朝日新聞西部本社での講演を、若き松本清張が聴いていたのではないかと実感できる展示に興奮しましたし、柳田が立ち寄った延命寺とその場所にあった料亭からの景色を想像することができたのも収穫でした。

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昭和11年に柳田が立ち寄った延命寺。この境内にあった潮風園で、小倉郷土会の面々を相手に「伝説とその方法」を講演している。まさに、その名の通り、関門海峡を見下ろす高台で、柳田が見たであろう景色を想像することができました。

 

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柳田が訪れたころの曽田家。主人の曽田共助を中心に、小倉の文化サロンとしての存在が続きました。(現在の曽田家の玄関に飾られています)